大切な人と幸せな関係を築こうと思ったら
できるだけ「正しさ」は手放した方がええかもしれんね
正しさっていうのは立ち位置によって変わる
それぞれの立ってる場所によって見える景色(正しさ)が変わるから
人それぞれの正しさがあるんやわ
多面体のルービックキューブみたいに角度が違えば見える色も違うように
自分が見てる色(正しさ)と
相手が見てる色(正しさ)は
全く違ってたりするんよな
不満や争いが起こるのは
お互い自分の色だけ見てんねんな~
俺の色はこうやー!
私の色はこうやー!
やからこうあるべきなんやー!
て自分が見てるその色が正しいと思い込み、その色(正しさ)を主張する
でもほんまにそれでええんかな。。。
俺が正しい!私が正しい!
て自分の正しさを振りかざして
一体何を手にしたいんやろな?
自分の色(正しさ)を主張し過ぎたら
相手の色(正しさ)を否定することになる
ケンカでも
いつの間にか相手に間違いを認めさせることだったり
謝らせることが目的になってしまったり
ただ自分の正しさを証明したくなったりした時は
ちょっと一回深呼吸やわ(^_^)
その正しさと引き換えに何か大切なものを失うんちゃうかな?
一回立ち止まってティータイムやわ(^_^)
自分はほんとは何を手にしたかったんやろな?
正しさを振りかざして得られるモノって
せいぜい自分の正しさを証明できたという小さな優越感くらい
でもほんとはそんなもん手にしたかった訳じゃないんよな。。。
正しさは時に剣のように人を傷つけ
時に自分を孤独にする。。。
いざ大切な誰かや大切な何かを守る為の
必死に正しさを証明する必要がある時なんて
長い人生においてそう何度もないんよね
それ以外は幸せとは関係ないほんま小さなこと
大切な人と幸せな関係を築くんやったら
「正しさ」よりも
いつも「思いやり」を優先した方がずっと幸せやわ
「思いやり」とは相手が見ている景色(正しさ)に心を馳せる「想像力」
相手が見てるのは何色なんやろ?
今どんな景色を見てて
今何を感じ何を考え
そして今何を想っているんやろ?
そうやって相手が見ている景色を想像すると
きっと自分が見てる景色とは違うから
きっと自分と違う気持ちや考え方や
想いがそこには必ず存在するんよな
大切に握り締めてる自身の正しさを手放した時
きっとそれが見えてくる。
どっちが正しい!
どっちが間違ってる!
なんていうのはとても些細で小さなこと
どっちでもええねん(^_^)
この世界に間違わない人なんていないし
完璧な人なんていないんやもん
自分の物差し(価値観)で人を計ったり人を正そう正そうとしとったら
毎日ストレスで絶対ハゲるわ^^;
人間の視界はどう頑張っても180°
後の半分の自分が見えない景色は
いつも大切な誰かが見てくれている
こっちの景色はこんなんやで〜
そっちの景色どんなんや〜?
そっかそんな景色なんやな〜
て楽しく笑って話せたら
何かええよね(^_^)
大切な人と幸せな関係を築くんやったら
「正しさ」よりも「思いやり」
小さな優越感は失うかもしれんけど
替わりにもっと大切なモノが手に入る
人は正論や正しさに集まるのではなく
暖かい思いやりという愛に人は集まる
ほんとに手にしたいモノは
そっちの方にある気がするわ
大
今日の出来事を見られていたかのような記事で涙が…
前回この記事を読んだ時にもハッとしたのに
気をつけよう、変わりたい、変わろうと思ったこと、深呼吸すること、全部忘れてました。
相手に対する思いやり いつの間にかどこかに置いてきてました。
頭でわかっててもうまくいかず行動できずつい感情的に正しさばかり求めて
Facebookで繋がって頂きありがとうございます。
正しさについてずーっとこうではないかと想っていたことをすごくわかりやすく文章にされていてすごいと思うのと、爽快な気持ちになりました、ありがとうございます。
忙しさとか言い訳に忘れてしまうこと、大事にします。