高島大『この晩ご飯が食卓に並ぶまで』

 

例えば


この晩ご飯が食卓に並ぶまでには


スーパーでお菓子を持って走り回る娘を何度も追いかけ


娘を抱っこしながら両手いっぱいに重い買い物袋を持って帰ってきて


足にしがみついてくる娘の相手に何度も火を止め


娘をあやしながらやっとできた晩ご飯やったりするんよね。

 

 

例えば


この洗い立てのパリっとなったシャツ一枚とっても


とっくに洗濯機は回し終わっているのに


何度も娘におっぱいをあげたり


何度もオムツを替えた


何度も絵本を読み聞かせ寝かしつけた後


すっかり日も暮れたあとやっと干せた洗濯物を


次の日娘の相手をしながら一生懸命アイロンをかけてくれたシャツだったりする。

 

 

当たり前のように今目の前にあるモノ一つ一つには


仕事で家を空けてた俺には決して見えない物語が必ずあるんよね

 

 

ほんま全てのコトは当たり前じゃなくてね

 

 

ご飯食べてても


シャツを着る時も


奥さんに対してほんまにありがとうなって


感謝が溢れる。

 

 

ご飯作ってくれてありがとう


洗濯してくれてありがとう


今日も娘を守ってくれてありがとう


毎回毎回


毎日毎日


一つ一つのコトに奥さんにありがとうを伝えるコトをね


何年経っても忘れたらあかんなって思う

 

 

仕事ってね


毎月給料をもらえたり収入が入るやんね


ほぼ毎日誰かにありがとうやお疲れ様を言ってもらえるやんね

 

 

お金という物理的報酬や


感謝という心理的報酬をもらえる


やったコトやがんばったコトが


報われるという達成感や幸福感を感じるコトができる

 

けど


子育てってそれがあんまり無いんよね。。

 

 

小さな娘の成長を感じたり


小さな娘が大きな笑顔で笑ってくれた時に


キュン♪と幸せな気持ちになったりするけどな

 

 

誰かに「ありがとう」って感謝されたり


誰かに「良くやったね」「がんばったね」って


認められたり褒められたりすることってあんまり無いんよね

 

 

母だからやって当たり前?


子育てだからして当たり前?


妻だから当たり前?

 

 

俺はそうは思わないんよ


どれも決して当たり前のコトではないんやわ

 

 

いつも思う


うちの奥さんはいつ誰にありがとうって言ってもらってるんやろ?


年中無休の子育ての日々の中でいつ達成感を感じてるんやろう?


報われる瞬間や認められる瞬間って何回あるんやろう?

 

 

だからせめてね


一番すぐそばにいる俺が


毎日毎日、毎回毎回


ありがとうをちゃんと言葉にして


ちゃんと伝えたいなと思う

 

 

例え奥さんは感謝されたくてやってる訳ではなくても


ありがとうって言われたらやっぱり嬉しいやんね(^_^)


今月も働いてくれてありがとうって


奥さんに言われたらやっぱり俺も嬉しいもんね(^_^)

 

 

夫婦生活も長くなると


「ありがとう」って言葉が家の中で響かなくなるのが普通らしいけど


「感謝」の反対語は「当たり前」

 

 

全てのコトが当たり前にならないように


全てのコトに感謝の気持ちを忘れないように


何年経っても何十年経ってもね


「ありがとう」の言葉がよく響く家でいたいなと思う。

 

 

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